わたくしたちについて

セツゲツカLtd.は、2000年にオープンした「FourHeartsCafe」からはじまりました。
元々わたくしたちは都内の会社で、
PR、広告、編集や、多くの飲食店の立ち上げのプランナーのしごとをしていました。
まさに世の中の先端を感じさせてもらえるしごとでした。

何年か務めた後、何のあてもなく地元に戻りました。
地元での生活はある意味衝撃的でした。
「10年は軽く遅れている…」
これまで自分たちが見せていただいた世界と地元があまりにもかけ離れていました。
*この「10年は軽く遅れている」という考えは、「他人のものさし」での判断で、
のちに「自分のものさし」が確立されてくると間違っていた部分があることに気がつきます。

こんな経緯で
「自分たちがこれまで勉強させていただいたことを、少しは役に立たせることができるのでは?」
という「良心」が芽生え、そのままプランニングして創業しました。
なので当初から、

「誰かのつくった流れに乗ってお金を稼ぐ」ためだけではなく、
「どこにでも通用する新たな流れを興そう」とはじめました。

20代だったのでお金も、社会的地位も、信用も何もないところから、はじめなければなりませんでした。
何もなかったので「場」をつくることで「人」を集めなければ何もできませんでした。
いかに自分が無力で、そして先が見えないことがなんと恐ろしいことかを実感しました。

これまで順調だった訳ではありません。
つぶれそうにもなりました。
創業当時は若かったので、何でもできると過信していました。
自分たちが地元を大きく変えられると本気で思っていました。
結果、近隣の飲食店や企業が視察にくる程度で、お手軽に真似されるぐらいでした。
何もおきませんでした。
何か起きるにはまだ時間が足りていませんでした。

「新たな流れを興そう」という気持ちだけは持ち続けました。
オープン当初からお店の壁は無料で開放し、
イラストやっている人や写真をやっている人に無料で展示させていました。
編集者、デザイナー、イラストレーターたちが集まりはじめました。
山梨にも多くの有能な方々がいるんだなと思いました。
同時に彼らにあまりしごとがないという事実。
また彼らのしごとに対する金銭面での評価の低さも垣間見ました。
「なにかできることがないだろうか?」と考えずにはいられませんでした。

一方で、地方の中心街の衰退は凄まじく
それは甲府でも例外ではなく、街はどんどん疲弊していきました。
それでも、たくさんのお客さまに支えられて毎年売り上げを伸ばしていきました。

人が集まり始めると、また様々な人が集まります。
山梨を良くしたいという人、意識の高い公務員の方々、地元のビジネスマン、大学の先生たちです。
山梨を良くしたいという人には、
地域を良くするために「サービスを受ける」のではなく、
「サービスを提供することでしか地域は変わらない」ことを説きました。
地域の「顔」となる覚悟を決めた彼とは、ともに「ワインツーリズム」の活動を実践しています。

「ワインツーリズム」では、
わたくしたちが企画・プロデュースすることで脚本を書き、舞台を構想します。
イラストレーターやデザイナーが大道具、小道具さんとしてイメージ通りのステージにしてくれます。
そして地域の「顔」となる覚悟を決めた人が代表して、世間に訴え広めていきます。
温かく見守ってくれる、公務員の方々、大学の先生方、地元のワイン業界の人々がいます。
こうして、かたちだけの産官学連携ではなく、
「場」を通して本質的な意識共有ができ、少しずつ地域が変わりはじめています。

人が集まると食材が動きます。
コンセプトのしっかりした「食の場」を提供することで、
様々なつくり手が自慢の商品とともに集まりはじめました。
農家、醸造家、栽培家、林業、酪農など
現場のプロフェッショナルが集まりはじめ彼らから多くを学んでいます。

このように
「人と人」「人と企業」「企業と企業」をむすび
「ありそうでなかった」モノやコトを興すしごとをしています。

2011.01.26  Takayuki Oki